KAKU
場所は、もう関係ない。
だってやること一緒やから。
MORTAL COMBAT/CUBE/HEROES/K.F.P/BBOY WORLD ASIA/198ROCK
大阪を拠点に国内外を問わず数々の大会で輝かしい成績を残し続けるクルーMortal combat。
他には無い圧倒的なスキルを武器に日本のBboyシーンを一つ上のレベルへと持ち上げたクルーと言っても過言ではないだろう。
その中でもオリジナルメンバーとして、今もシーンの最前線で戦い続ける男がいる。Bboy KAKUだ。先日も国内最大規模を誇る「DANCE ALIVE HERO’S 2018」にてソロ優勝を飾ったばかりだ。
なぜ彼は身体を酷使するそのスタイルを貫くのか、なぜ彼は戦い続けるのか、ベテラン組と呼ばれるようになった今、何を考え踊るのか話を聞いてみた。
Q:自己紹介をお願いします
A:兵庫県西宮市出身の角谷直人です。31歳、1986産まれです。
最近1986と書いてあるTシャツ作りました(笑)
大阪を拠点とするMortal combat(以下:モーコン)というクルーに所属しています。
大阪拠点言うてますけど、大阪出身のメンバーは2人しかいません。ヨッシーとまっちゃんですね。
Q:いつダンス始めたの?
A:ダンスを始めたきっかけは、中学生の時につるんでた奴が学校の番長みたいな奴で、そいつがブレイクダンスやりだして、なら俺らもって感じで始めたかな。
当時はヤンキー上がりやったから、耳にゲージでいうと10号くらいの穴開けてたわ(笑)
ほんならその後、そこから耳毛生えてきてん!それが中学3年生の時やな~
でも元々プロレス好きやって、レスラーがリングパフォーマンスでウィンドミルやってるのとか見てたから、ブレイクダンスって存在は知ってたんよ。
で、その頃に見てたのが「めちゃイケ」ってTV番組の企画であった岡村さんvsゴリさんのダンスバトルやねん。それ見て「これがBRAKE DANCEなんや」って思ってたな~。
そんなんがきっかけでダンスやりだして、最初は地元のスーパーの空いてる床とかで練習してたね。
ほんで、三点倒立とかして初めてドリルやってみたら3周くらい回ってん!!
「キタ、これや!」って思ったね。
周りも「お前めっちゃやれるやん!!」って興奮してたわ。
まぁでも地元の奴らはもうダンスしてへんな~、10人くらいで始めたんやけどな。
唯一1人だけカメラマンやけど、Yellow sunsのメンバーにいるで。
今でもこのHIP-HOPっていう同じカルチャーにはいれてるから嬉しいな。
ほんで高校受験の時に、俺結構頭悪かったから私立やったけどその学校1本に絞って合格してん。
ほんならみんなが公立受けてる間、一人でOCAT行ってて、そこでヨッシーと出会ってん。
週末は兵庫から1時間くらいかけて電車で絶対行ってたな。昼の12時から夜の8時くらいまで練習してたな。
その時からOCATは聖地みたいで、ブレイクダンス上手くなりたかったらOCAT行けばいいみたいな場所だったね。
当時ってビデオとかYouTubeとかがまだ無かったけど、携帯動画のサイトで水道橋舞踏団ってのがあって、「大阪のやばい奴」みたいなんでヨッシーが出てたんよ。
んで、OCAT行ったらヨッシーとアイチとかおってね、だからヨッシーとは大阪からだね。
そっから、ヨッシーとアイチでチームやってたけど仲悪くなって別れて、ほんなら俺はヨッシーの穴埋めでアイチとかのクルーに入って一緒にShowcaseしたりして。
んで帰り道にOCAT行ったら、ヨッシーがいて「週末おいでよ。一緒にやろーや。」ってなって、この人からそんなこと言われんのやばいわ~、って。
ほんでOCAT行き出してた、ヨッシーが「一緒にチーム組もうや。」って言ってくれてん。
だからあいつがスタートで、2人でやり出したかな。
けどまだ名前決めてなくて、その後にクルーバトルがあってんけど2人じゃ無理やなってなってん。
その時、リョーマもOCATいてたんやけど、メガネ掛けっとって見た目まじ外人やねん(笑)
ずっとフランス語のラップかけたり、あんまり聞かないよいうなhiphopとかかけてたりしてて。
しかもラジカセでw
ヨッシーが「あいつめっちゃ気になんねん。」って言ってて、「もしチームなかったんなら一緒やろーや」って声かけて3人で始まったのがCUBEってチームやね。
リョーマは、出身がフランスで、2~3歳くらいの時に大阪きてってな感じだったかな。たぶん、ジュジュ(リョーマの実兄)が小学校入る時くらいやないかな。
だから、元々はヨッシーとリョウマとCUBEっていうクルーでやってたよ。
んで、そのバトルが、バトルオブヒラパーっていう枚方パークでやってるクルーバトルで、3人でチームバトル出よーかーってなったけど、人が足りひんってなって。
リョーマが「俺の兄ちゃんブレイクダンスやってて、3人でチーム組んでんねん。」って、あのUSJでね。
その年上組3人と俺ら若い3人で組んで出たんよ。
一人オーストラリア人の外人がいて、しかもリョーマとジュジュはハーフやし「ミーハー外人」っていう謎の名前付けて(笑)
そのオーストラリア人が「俺らミーハーな外人やな~。」って(笑)
その外人が帰国して、チームを抜けてって感じで続いていったね。
あと、ダンスに関しての俺らの世代(1986)のことやねんけど、俺らの世代ってレッスンも盛んやったしストリートも盛んやってん。レッスンだけやとその人っぽくなるし、ストリートだけやと自由すぎるというか。
俺らの世代ってちょうどその中間やと思ってて、やから皆んなほんまに自由で、でも勝つ為に頑張ったりとか自分探ししてたりとか、キャラが被る人がいないんよね。
Q:モータルコンバットの名前の由来は?
A:はじめはめっちゃ適当やで。
OCATでクルーバトルがあってんけど、それに助っ人でシュンジ(四次元生命体)入れてバトル出た時があって。
そん時、意気投合したのがゲームの話で、「モータルコンバットってゲームやばいよな。」って。
あのグロい系の、ほんまB級ゲーム(笑)
でもゲームのモータルコンバットのコンバットは頭文字が「K」で、もし俺ら有名になって訴えられたらあかんから「C」に変えようって(笑)
その時から、なんか変な自信はあったよ。
モーコンは2003年がはじまりで、今年で15周年だね。
12月22日に周年イベントやるからよろしくお願いします!(笑)
Q:今どんな生活?
A:平日は、ダンスのレクチャーを子供達に教えたりとか、もちろん大人もいるっすけど。
週末は、ダンスの審査員とか、違う土地に行ってワークショップだとか。
今年に入って多くなったのは、中国に行ってジャッジしたりワークショップしたり、プライベートレッスンをしてるね。
呼ばれるのは、中国とヨーロッパが多いかな。とりあえず向こうのアテンドおもろいよ(笑)
Q:海外でお金を稼ぐってどんな感じ?
A:海外では、別にお金を稼ぐ為にとかではないね。
自分が日本にいて、海外に行った時に「ちっぽけやな。」って思って。
はじめてBOTYでドイツ行った時に、日本人って細いし、小ちゃいし、島国やからか表現力も豊かじゃないとかいろいろあるやん。
ってなった時に、上位4位までが予選通過なのに、俺ら5位やって。
周りの人らは「いったよ!」って言ってくれたけど、予選落ちて。それがほんまに悔し過ぎてん。
英語も喋れんし、リョーマとかジュジュはフランスのハーフやから、かろうじて喋れてたけどな。
自分の中でそん時、ほんといろいろ悔しくて、ダンスも敵わん、体格も敵わん、日本語しか喋れへん。
もうめっちゃ悔しくて。だからそれから、来る物拒まず自分からも行ってたね。
俺、勉強はまじ出来ひんから、する人も効率いいとは思うけど、俺はもうなんか、体。
だから、今でも海外に行って「もっとまだまだ学ばなあかんな。」と思ってるね。
もちろん生活も出来てるけど、やっぱ一番は向こうで知り合い作ったりとか、動いていきたいね。
まだまだやから。
Q:海外での(バトル)経験について
A:向こうはオーディエンスの反応がやばいね、俺がやってるスタイルの。
結構動画で流れてんのは「IBE 2008」かな。あん時は大陸別バトルで、初めて呼んでもらってね。
ほんで行ったらな、最初にIBEやってたあのクラブやなくって、だいぶ凄い2~3階とかある吹き抜けの会場であって、オーディエンスとかみんな上からも見とってん。
んで、最後のバトルがヨーロッパ対アジアやって、こっちのメンバーは「俺、カズヒロさん、カツくん、ユーくん、タイスケ、Hong10、ドンギュ、The end、Born」やったかな。
そん時たまたま当時の必殺技が残っとって、でもやろうと思ったら、いつも使ってる手縫いのリストバンドがあるんやけど、それが盗まれてて、そのバトル前に。やばいやばい!みたいな(笑)
しかも、相手はBboy CICO(Red Bull BC One All Stars)。
「これ、くるな。」って(笑)
そしたらBboy Born(Rivers crew)が「KAKU!まだ2000やってないよな?やったぜ!」みたいなこと言ってきてさ(笑)
ほんならスタートした瞬間に、案の定1発目にCICOが、ガーって1900回って、「・・・俺か」って(笑)
んで、俺も2000ブワーやったら、上から水とか氷とか降ってきて(笑)
「お前らヤベーヨ!」みたいな。ほんなら床びちょびちょなって、バトル一旦中断してん(笑)
でもそれ以上にやばかったのは、動画とかには無いんやけど、アメリカのイベントで「ashes 2 ashes」ってバトル。モーコンで日本予選を優勝して本戦でアメリカ行ったんやけど、そん時に行けるってなったのが4人だけで、しかも向こう行ったら予選から出てって言われて(笑)予選優勝したのに(笑)
仕方ないから、じゃ~出ましょうってなって、めちゃめちゃ地元の体育館みたいな所で予選やってんけど、俺らはラストバトルくらいで呼ばれて、相手は地元の子ら8人くらいやったかな。
バトル時間は8分。んで、ラスト3分くらい残した時に俺が出て、2000やったら会場が潰れてしまって(笑)
グワーなってSkillmethodzのLuigiとかVenumが俺を胴上げしてくれるっていう状態ね(笑)
ほんで相手も胴上げしにきて、その時点でバトル終了みたいな(笑)“IT’S OVER”してもうてん(笑)
でもこれはね、ほんまに求めないかん所やと思ってて。あの時の快感を。
ほんまに青春やねん。あの時の青春は、今でもやりたいなと思いながら求めてやってるね。
みんな見てるのはIBEやと思うけど、本当は違うかな。2007年やからIBEの前やね。
でも、動画ではじめ有名になったのは後頭部で回るやつかな。
でも、あれはただの事故(笑)
Q:どんな練習してる?
A:なんか自分の中で、はじめは韓国のBboy BlueがBe B-boyで日本に来てて、ウインドから2000やってるのを生で見て、俺もやりたいな~って思いながら、でも無理やってん。
んで、みんな知らんと思うけど昔、MondoってBboyが好きで2000めっちゃ回るんよ。
俺の中で、ウインドからの2000が無理やから、ヘッドから上がれるかな~と思って。
けど最初はもちろん無理やって、無理や無理や、諦めようって。さすがに無理やってん。
でも、基本は反骨精神。練習も全部。「負けたくない」とか。
一応、毎日踊ってる。平日はレッスンもあるし練習も行ってるし。
週末はジャッジだったりとかshowやったりとか。踊ってない日はないね。
昔は、6時間とかは余裕でやってたよ。
Q:ポテンシャルの保ち方
A:怪我をした時に医者から「もう無理だよ」って言われた事もあって。
首もそうやし、怪我も多いし、諦めかけたことは正直ある。
けど、「無理だよ」って人に言われても自分ではでもいけるし、みたいな(笑)
トレーナーの人にも「お前みたいな奴はいねー」って(笑)
「あいつは絶対死ぬよ」「2年後車椅子や」とかまで言われて(笑)
別に俺はそれを冗談だと捉えてるから、ただ脅してるだけやってね。
でもさすがに自分の得意だった事が出来なくなった瞬間に、自信無くなってしまった事はあるよ。
2〜3年前かな。一回握力8まで下がって。
でもそん時は、かろうじて2000は出来てて、、、。握力8で(笑)気合いで(笑)
でも何年か経ったら本当に上がらんくなってきて、そん時ほんまにブレイクダンスだけじゃあかんのやなって思ったかな。
ジム行ったりだとか、整骨院むっちゃ通ったりだとか、自分の足りひん所を補っていかなあかんて思って。
Bboyってアスリートじゃないけど、続けていく為にはやっぱりそういうのって大事なんだなって思う。
本気でそれでやってくって決めたからにはね。
Q:いつ本気でブレイクダンスでいこうって思った?
A:最近だよ。怪我して、トレーニングして、また戻った瞬間に、あ、それやったらいけるんやって。
自分の中で、アスリートっていうマインドは元々無かったけど、通づるものはあるのかなって。
面白いのが最近あったサッカーのワールドカップ出てた本田圭祐とか、長友とか同じ歳やし。
俺はあんまり気にしてないんやけど、アッキー(Faith→exist)がめっちゃ言うんよ。
この間とか、カズを超えたとか言い出して(笑)超えたらあかんやろ、みたいな(笑)
あんたの軸ブレてるやろって(笑)
でも言われたら意識するやん?
けど、かますところって人それぞれだからね。
Q:クルーやアカデミーについて教えて
A:まず、モーコンは今年で15年なるんやけど、やっぱいろいろあるよね。
でも本当に自分の中ではじめて世界を見るきっかけがこのチームやったし、このチームじゃなかったら絶対無理やし。
なんか、よく言われるスキル時代っていうのを作って、それ作ったからには貫きたい、みたいな。
ちょっと昔って、例えばBOTYっていうシステムが変わっていく中で、ファンデーションを求めたりとか、トップロック、フットワークとかが評価されたりって時もあってさ。
でも俺らって、結局それで評価されてきたから、ずっとそれで行こうぜって。
スキルが強みって自分たちでも思ってるね。
けど、身体的にみんな無理になってくるよね。それぞれ仕事とかもだけど、ダンスだけでやってく人間ってほんの一握り。日本ではね。特に大阪とか。スポンサーとかも無いしね。
んで、俺はバトルじゃないと自分の良さが出せないなと思ってて。
ずっとウータンさんとよく1オン1でバトルしよって、全く真逆のスタイルなのに、むちゃくちゃ毎回盛り上がって、バトルしててむちゃくちゃ気持ちい相手でさ。
もともと俺とウータンさんと、monmoiと、リョーマで大阪代表して出ようぜってなってんけど、それが上手くいかんくて、鹿児島から来たHayato oneとか、同じ世代でやってたピヨくんっていう人とか、みんなで一緒にでやろうってなってん。
ほんまにバトルが好きで、自分の練習した結果がShowcaseじゃなくバトルで出るのが好きかな。
んで、バトルクルーを作りたくて出来たのが、HEROSやねん。
モーコンは怪我もそうやし、仕事とかShowcaseが楽しいとかそれぞれの考えがあるし、全員が全員バトルでやって行こうぜってのは無理やったからね。
アカデミーはジュジュが「モーコンのネクストを作りたい、この名前を続けていきたい」ってのが始まりだね。
大阪でもいろんなクルーがいてるんやけど、なんていうか「第一線で続いているクルーがいない」っていうのも言ってて。
俺らの中でBboyシーンにいて、Bboyのバトル出て、Bboyのコンテスト出て、BOTY出て、Be bboy出てっていう続いてるクルーがいないって感じててさ。
ほんでアカデミーはオーデイションやったんやけど、最初は集まらないと思ってたね。
でも実際は日本全国から50人くらい来てくれてさ。
北海道から来てくれた子がいるんやけど、その子はメンバーに入ったんよ。ジョーって言うんやけどね。
その子は、俺が北海道にWorkshopした時に受けに来てくれて、その1ケ月後にオーデイション受けに来てくれてさ。ノリで言ったんやけどね、そしたらほんまに来て。
その子も受かる気なくて、大阪来た事無かったから来てくれたんやけど、ほんまに大阪引っ越して来てくれて、高校も大阪の学校に通ってたね。
初めはね、決して軽くはないけど「ネクスト作りたいね~」みたいな感じやったよ。
けど、そいつらの気持ちを考えたらね、賭けて来てくれてるから、俺たちも賭けないと。
ショーヤって子も石川からずっと通ってくれてね。
今年のBOTYがね、チームに4人アカデミー生を入れて、オリジナルは俺とリョーマだけで出たんよ。
でも、Ayumu(nine state bboyz)とかが「そう感じなかった。」って言ってくれてね。
ニュージェネレーションというか、昔からモーコンの一員やったみたいな。
でもぶっちゃけ、目立ちたいよ。そいつらもかまして、俺もかます、みたいなね。
僕は、言葉で伝えるのが苦手で「こうやれ」っていうのが苦手てでさ、自分も一緒に出て感じて来たし、
だから、それが伝わってると嬉しいね。ただ体が動かなくなったら終わりだなって思う。
みんなそれぞれのネクストへの伝え方があって、言葉で「モーコンはこうだったよ。だからお前たちはこうすべきだよ」とか伝えていくメンバーもおるし。
でも俺は「俺は未だにこうだからね。」って。
前はみんなで勝とうってなってたけど、今はそれぞれ役割分担して、出来てると思うし、それがチームの良さというか、俺はありがたみを感じているね。
決して新しい子が欲しかったわけじゃなくて、結果そうなっただけ。
でも、これは絶対良かったと思ってる。
周りがどう感じたかは分からんけど、俺はやってよかったとほんとに思う。
ただ、チームでやってて俺の中で悔しかったのは、リョーマとジュジュがステッピンとエアチェアーを世界的に作ってるのに、俺のスタイルは誰も真似てなくてってのはあったかな。
俺のやってるのってヘルメット被ってとかやから、誰も禿げたないし(笑)
Q:日本全国のBboyシーンについて
A:自分の考えから言ったら、もっと反骨精神を持ったほうがいいと思う。自分のテーマで言ったらね。
っていうのも、俺は男三兄弟の末っ子で生まれて、全部おさがりみたいな。いつも兄貴たちに付いて行ってみたいな感じやったんよ。
でもなんか、ほんまに「あの二人ができんことやろう」みたいなんは絶対大事と思ってて。
結局「その人になろう」じゃなくて「あの人にできんかったことをもっと求めよう」というのは絶対大事。
今日、福岡でジャッジさせてもらって、ぶっちゃけあの人っぽいなって子は多かった。
結局、ベスト8で上がって来た子は、そうっぽくない人やったかな。
でも、どっちかやと思うんよね。
あの人を越えようっていう人か、あの人っぽくないことをやろうって思う人やと思う。
その中間では生きていけへん。
俺の弟子でツッキーっておるんやけど、彼は俺の先行こうって感じで、毎週俺のレッスン来てくれるのにんよ。
まだ小6やのに、高校生まで来る言うてるよ。あいつは俺がやったことをすぐやって、俺の先に行こうとする。
だから「あ~、ガキが黙っとけ」って(笑)俺も負けんように行こうって。
でもあいつも兄貴がいたからやと思うねん。
んで、兄貴も「ツッキーには負けんようにしよ」みたいなね。
Bboyやから、やっぱ男やからさ。
んで、BgirlはBgirlの良さがあると思う。セクシーやったり、考えやったり。
トータル、日本はもう分ける必要はないと思う。世界として見たほうがいいと思う。
場所はもう関係ない。だって、やることは一緒やから。
Q:あなたにとってヘッドスピンとは?
A:ん~、これは僕自身。
俺、三点倒立ができたの3歳。
ダンスやってから親に言われたんが、親もダンスやるんは知らんし、そうは育ててないし、やのに自然とテレビ見てめちゃイケ見て始めて。
3歳のディズニーランドの写真で、俺ブリブリでやっててん(笑)
俺嘘やろって(笑)作ったんちゃう?言うて(笑)
もう病気やで(笑)そうじゃなけりゃ自分を表現できないというか。
だから人と見てるんが逆なんやね(笑)
ヘルメット被ってバカにされて、「は?見とけよ」っていう反骨精神。
だから、ヘッドスピンは僕のブレない軸やね。
Q:挑戦し続ける理由
A:昔は、シンプルに目立ちたいってのはあったかな。
けど今は、子供が見てくれてるっていうのがあるね。
結果残したいし、でも残せんでも戦ってる姿を見せたい。
子供が見てくれてるっていうのが、今のモチベーションだね。
Q:ダンス以外で興味あること
A:ないね(笑)ダンスだけ(笑)
強いていうなら体のケアだね。
好きで仕事にってこと。
Q:夢や今後の展望
A:見えてないので頑張ります(笑)
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