TOPROC DRESS

CHA3 (NAO)

いかに“見ない所“というか“見えない所“を突けるか。

SO DEEP

慣れ親しんだ東京の街を離れ、鹿児島へと移住しタコスというツールを通してカルチャーに生きる方がいます。 日本を代表するハウスダンスチームSODEEPのNao氏です。 ダンスの世界にも様々なスタイルが存在しますが、生き方のスタイルがカッコいい人ほど遊び方も上手な方が多い印象があります。 昨年11月にNao氏が営むla fonda ELPURPにて開催したPOP UP STORE “TACO MAFIA”。 2日間を通して、Nao氏からも同様のそれを感じました。 今回はそんなNao氏のSO DEEPな部分に触れるべく、彼のストーリーを聞かせて頂きました。

Nao



Q.自己紹介をお願いします。

チャチャチャことNaoです。
産まれたのは鹿児島なんだけど、育ったのは武蔵小杉っていう川崎にある街ですね。
渋谷と横浜の丁度中間にある所で、そこが地元って感じです。

CrewはSODEEPっていうハウスダンスのチームです。
結成24年くらいかな。
俺とSubaruっていう2人で始めたチームなんだけど、そこに先ずTakesaburoが加わって、高校卒業のタイミングで静岡からOhishiとかYoqo、Uematsuが東京に出てきて、神奈川の俺らと静岡のあいつらがくっついた感じだね。
元々は別々で活動してたんだけど、たしかTV番組のASAYAN企画のコンテストだったかな、出るなら一緒に出ようよってなったのがきっかけだったと思う。

Q.ダンスを始めたのはいつですか?

ダンスは1995年に始めました。
高校1年生の時だね。
部活でバスケもやってたから最初はバスケしながら空いた時間でダンスしてた感じ。
高1でダンスやるようになってすぐクラブも行くようになってきて、ちょこちょこ遊び行ってたから、授業中はフルで寝て、部活してダンスって感じの生活だったかな。
初めて行ったクラブは町田のFLAVOR。
けど当時、クラブが多かったのは六本木で、元気なハコがたくさんあったね。
外人が経営してるようなクラブがあったりして、そういう所で色んなパーティーが開かれてて、その中にダンスショーがあったりとかだったな。

高2の終わり頃にバスケ部の顧問とソリが合わなくて部活をストライキしてた時期があって、そのタイミングで進路どうすんだ?みたいな話になったのね。
このままバスケやってても、当時はプロもなくて実業団とかしか無かったし、その為に大学行ってバスケやるのもちょっと違うかなーって思ったのよ。
そんな時にダンスってどうなんだろうって思ったら、ドレッドとかゲームシャツ着てパフォーマンスして「え?それで金もらえるんすか?」って思ったんだよね。ダンスって仕事になるんだと思って。

Q.ダンスをやるようになったきっかけを教えて下さい。

元々バスケで憧れてたMichael Jordanから黒人に興味を持って、雑誌でSnoopDoggを知ってファーストアルバム買ったりしてHIP HOPが好きになってったね。
だから、人に教えてもらうってよりは自分でドキドキしながら探ってきた感じだね。原宿のニガーショップに服買いに行ったり、割と格好から入った方かも。

Q.SODEEPという名前の由来を教えて下さい。

最初Subaruと2人でやってた頃、カセットデッキで音を繋いだりしてたんだけど、その時代ってラジオでかかる曲とかもガンガン使ってて、向こう(海外)のラジオから曲を引っ張ってきたりしてたのね。
それで、当時流行ってたSO DEEPっていう曲があって、そこから拝借した感じだね。
当時は時代的にラッパーとかの間でDOPEとかって言葉が流行ってるというか、フレッシュな感じだったんだよね。
だから俺らはDOPEじゃなくてDEEPでいこうぜ、みたいな。

Nao

Q.東京とローカルの違いについて考えることは?

最近はあんまし東京に戻ってないから、今の東京がどういう感じか分かんないけど、飽和状態なのは確実に感じてたね。
東京で毎日気を張ってバチバチでやってくのか、環境的にある程度自分のスペースを作って今みたいにやりたい事をじっくりやってくのかって考えた時に、こっちを選んだんだよね。

こっち(鹿児島)来る前に三茶のBORRACHOSって店で丸3年働いてたんだけど、そこではだいぶ勉強させて貰ったな。
三軒茶屋っていうのは本当に面白い街で、渋谷から目と鼻の先なんだけど、めちゃめちゃローカル色強くって。
そこでは周年パーティとかも担当させてもらっててさ、普段50席くらいの店に2日間で500人入れたりしてね。
人が多過ぎて、歩道越えて車道にはみだしちゃって、自分でパーティ組んでんのに、当日は表で警備員やってるみたいな。

三軒茶屋にいた3年間は毎晩飲み歩いてたし、ローカルに活動するにはどう動いたら良いか本当に沢山学ばせて貰ったな。

そんな三茶生活を終えた時にちょっと一旦、中心(東京)からはアウトしようと思って。
関東に残るんだったら、湘南とか葉山とかに行こうかなって考えてたね。それこそローカルな環境を求めてた感じ。

SODEEP的にも、周年イベントをガッツリやった後で、良いタイミングだったんだよね。
2015年末に20周年のでっかいイベントをやって、2016年にツアーつって全国14カ所回ったのね。
内容とかも全部こっちオーダーというか、基本的に俺らがオーガナイズさせてもらって、各地の友達とかに手伝ってもらってね。

東京は渋谷のVISIONでやったんだけど、1000人以上集まってくれたね。
その周年パーティーをガッツリやれたから、とりあえず(東京での)ダンスは一旦区切りかなって思ったの。
これ終わって、またいつものループに戻るのはちょっと違うかなって。
でもダンスはもうやり切って満足したって感じではなかったんだけどね。

Q.鹿児島はどうですか?

凄く良い所だよ。
そうだねぇ、まぁ、すっ飛びというか、跳ねみたいな刺激は無いけどね。
ほっこり系というかさ。
でもそれが鹿児島が県外の人に好かれる理由の1つだと思う。
みんな鹿児島の事すごい気に入って帰るからさ。
緩くて、あったかい所だね。

Nao

Q.タコス屋さんを始めたきっかけは?

単純に言うと、自分がタコス食うのが好きだったからかな。
LAとかNYに行ってメキシコ料理屋に行った時に、いいな~って感じてさ。
日本でもちょこちょこメキシコ料理とは縁があって、その感じが好きだったのよね。
ピザ屋とかもそうだけど、なんかこういうシンプルな食べ物で繋がれるカルチャー、いいなって。

話飛ぶけど今の時代ってデッドエンドだと思ってるのね。
世の中めっちゃ便利だし、インターネットが当たり前になったり、資本主義と呼ばれるシステムというか、仕組みというかさ。
その中でいかに「見ない所」というか「見えない所」を突けるか、みたいなゾーンに入ってきてると思うのね。
見ようと思ったら何でもネットで調べられるじゃん?

加速する近代化に逆走して、土着的なメキシコの文化みたいなのを生活のベースにするのが自分的には前衛的に感じたんだよね。

Nao

Q.若い世代やシーンに伝えたいことがあれば教えて下さい。

鹿児島に来て、ダンスシーンが無いなって思ったな。
スタジオがあって、スタジオ毎のコミュニティはあるんだけどね。
でも俺が育ってきたのは、元々ストリートの延長線上に成り立ってるものだから、そこの前提がちょっとずれてるなって感じるね。
時代もあると思うけど習い事の枠を超えないっていうかね。
そういうのって、土地によってバランスが違うとは思うんだけど、例えばDJとダンサーとか、ミュージシャンや絵描き、アパレルとかが一緒になって何かやるっていうのとかが少なかったりさ。
若い子にはダンスで遊べる場を自分らでどんどん開拓していって欲しいよね。
そういう意味で言ったら、今回うちの店で開催したPOP UP STOREは色んな人が来てくれて良い交流の場になってると思ったな。

あとは是非ともチームを組んで欲しい。 チーム組んで誰も使ってないヤバい音源探して、あーでもないこーでもないってネタ作って、それを披露できる場所を探してみて。
チーム活動から学ぶ事は多過ぎるし、何より自分のスタイルが確立され易いからね。

Q.今後の展望を教えて下さい。

とりあえず、今は自分の店をあっためます。
タコス作るのが今の自分がピッタリとハマってるしね。
店もまだまだ色んな可能性があると思うから、新しい事にもチャレンジしつつ。
あとは、早くメキシコに行きたい。

Q.最後に一言。

そうだね。
タコスの道に振り切ったのは、この先老いてく事を考えた時に、どういう仕事をしてたらずっと続けられるかなっていうのがあったのね。
考え方は人それぞれだけど、ダンスはどうしても身体的にピークがあるから、バチバチで飛ばせるのは40代迄だと思うんだよね。
自分はタコスがその先も続けられるようなライフワークになったらなと思って。
店やってればパーティーもできるし日々好きな音楽も聴けるしね。
この先どうやってダンスや音楽と付き合っていくかって所にも繋がってるのかもしれない。

ガキの頃から感覚を大事にというか、頼りに生きてきた人間だからさ。
でもその分、遊ぶ努力はめっちゃしてきたけどね。

Nao

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