TOPROC DRESS

WOOD

1日に1個は絵を描くって決めてたね。

Yellow suns

DJ、MC、GRAFFITI、B-BOYING。
HIP HOPの4大要素としてあげられるこの4つのキーワードの中から、今回はGRAFFITIというカルチャーに焦点を当ててみた。 現在の日本のBboyシーンでは、ほぼ知らない人はいないであろうYellowsunsのWOOD氏。 ローカルイベントでのライブペイントから大手企業とのタイアップ企画など、幅広い分野で活躍している。 数多くの経歴もさることながら、圧倒的なスキルと経験を元に描かれた彼の作品は見る人々を魅了し続けている。 彼はいったい、なぜ絵を描き続けるのか。 明るい見た目の裏に隠された彼の素顔を探るべく、話を聞いてみた。

WOOD



Q.自己紹介をお願いします。

大阪産まれ、大阪育ちのWOODです。
今は活動的に関東在住ですが、ストリートアート、特にグラフィティアートってどうしても現地に行かないと描けないから、活動範囲は全国各地ですね。

昔、まだインターネットもそんなに普及してない時代にKAZE magazineっていうグラフィティのマガジンがあったんだけど、僕のバイブルですね。

Q.グラフィティライターを始めたきっかけは?

従兄弟のお兄ちゃんがいるんやけど、家も近くてしょっちゅう遊んでもらってて、なんせ昔からちょっと進んでるというか、すごい人やったんよね。
ほんで小学生の頃からずっとその兄ちゃんの後ろを追いかけて、中学生の時にその兄ちゃんからKAZE magazineを見せてもらったのが最初のきっかけですね。
13歳の時です。

当時はまだHIP HOPなんて知らんし、スプレーアートがグラフィティって呼ばれてる事なんかも知らんかったから、なにこれ!?って思ったよ。
んで、そんなん知ってしまったら街の中を気にして見るようになりました。
でもスプレーとか手に入れるきっかけもないし、買う場所も知らんし、お金もないし、とりあえずノートに真似事でグラフィティを始めましたね。

当時、大阪はクラブイベントが盛んで昼間とかもやってたんよね。
SNSとかもないから、フライヤーとかで告知しててさ。
で、ダンスをしていた長居公園でBMXやってたCABさんって人がいるんやけど、その人も絵描きで、今はPOW WOWとかでも評価されるような人なんやけどさ。
もう絵のスキルが圧倒的に違ったんよ。
CABさんは、よくフライヤーとかもデザインしてて、イベントでライブペイントとかもやってたんやけど、かっこいいーと思って、自分はこういう事がやりたかったんやって思ったのが最初のきっかけかな。

それからファイリングして持ち歩いて、色んな人に見せるようになったね。
高校生やったけど勉強は出来ひんかったから、絵は毎日描いてたね。
1日に1個は絵を描くって決めてたね。

でも絵でご飯を食べるつもりは結構前から無くて。
無理、というか想像もつかへんくてさ。
絵で飯を食えるようになるほど根性が座ってなかったんよね。
でも好きやから続けててさ。
で、やってるうちに描ける場所も増えてきて、頼まれることも増えてきて、小遣いは稼げたんよね、最初は。
でもそれで生活できるなんて思ってもなくって。
ただ絵を描ける環境は自分で作ろうと思って、仕事を色々やってきたんよね。
マウンテンバイクやスポーツバイクのメカニックやったりね。
自転車屋さんやろうと思ったくらい(笑)

でも、ふとね「自転車?ちょっと待てよ。」と思ったんよ。笑
いろいろしてたのが25.6歳の時かな。
最後が看板屋さん。 大阪にある小さな看板屋さんなんやけど、朝から晩まで作って、晩は晩で現場に取り付けに行ったり、めっちゃ大変だったよ。
でも何より楽しかったな。
もともと工具とか道具が大好きやったしね。
それから、まだまだ半人前やったけど26か27歳の時に独立させてもらったんよ。

Q.Crewについて教えて下さい。

CrewはYellowsunsです。
まだ10代の頃にYellowsunsのコニーとマスオと出会ったんよね。
マスオは奈良出身で大阪に引っ越して来てる奴やって、当時ちょっと僕らの周りで「なんか奈良からマスオっていう凄い奴が来るぞ」みたいに騒ついてたんよ。
めちゃカッコいいし、ダンス上手いし。
それで紹介されて話するようになったら、実はグラフィティ好きな奴やって練習後に描きに行ったりしてめちゃ意気投合して、それで「Yellowsuns入ってよ!」て言うてくれて僕も「いいよ〜!」ってね(笑)
そしたらマスオがすぐにメンバーに連絡して、WutaとTeng rocとかYagi Shotaroが車で長居公園まですぐ来てくれたんよ。
みんなで喋ってたんやけど、なんせその頃の僕は「“Crew”ってなに??」くらいやったから良く分からんくてさ(笑)

当時の大阪といったら、一撃とかモーコンとか、いわゆるスキルフルなチームが勝つ時代というか目立ってたから、それが当たり前と思ってたんよ。
でも当時のYellowsunsは、特にバトルとかで目立ってたわけでもないし「バトルに勝とう!」みたいなCrewでもなかったし、どちらかというとHiphopのファミリーって感じだったね。
そういう意味では僕もそこにプレッシャーを感じる事もなかったし、居心地は良かった。

それでサンズのメンバーが来てくれたその日は特に練習もせず喋って終わってたんやけど、入る前に1回一緒にイベント行こうやってなったんよ。
それで初めて行ったイベントが、福井県でやってたエニシやったかな。
当時Zuruに入ったばかりの頃のKatsuくんがジャッジやったかな。
それで、福井に向かう時にまず名古屋で合流して、Keep it realとYellowsunsで一緒に練習したんよ。
その時に初めてメンバー全員のダンスをちゃんと見たんやけど、「この人ら何してんの??」って思って(笑)
それまで大阪のシーンしか見たことなくて、スキルとかパワームーブとかがブレイクダンスのバトルなんやと思ってたからさ。
でもYagi Shotaroは隅の方で自分の世界入ってたり、Wutaはクネクネしてるし、サンズのメンバーらは訳わからん動きしてたから、最初は下手くそやんって思ったね。
「何してんの?」って(笑)
で、次の日イベント行って実際のバトルを見ることになるんやけど、バトルの時は全然違くて。
みんな上手いし、かっこよくて「あ、これがバトルなんや!」って気付かせてくれたんよね。
Crewというか、そういうのを見せてもらった事に凄く感謝したね。
それでその日の晩に「もうWoodはサンズだよ」って流れでYellowsunsには加入させてもらった。

Yellowsunsに関してはね、このCrewに入ってなかったら今の自分はないと思ってる。
もう14年くらいの付き合いになるけど、完全にFamilyだね。
もちろん喧嘩した事もあったけど、僕が困った時とかみんな助けてくれたし。
Bboyもやってたけど絵という形で僕を受け入れてくれたし、県外に行こうって教えてくれたのも彼らだったし。
彼らがいなかったら、今の僕はないね。

Q.なぜグラフィティライターをやるのか?

根本的にあるのは、やっぱりフリーウォール作りたいからかな。
グラフィティやりたいんですって言ってくる子とかもいたし、相談しにきる人とかも凄い多かったんよ。
その時に悔しかったのは、じゃ僕のとこで働きなよって言えなかった悔しさと、僕が持ってるフリーウォールに好きに描いていいよって言えない自分のショボさにガックリきたんよねー。

今は、おかげ様で東京とかでいくつかフリーウォール持たせてもらえてて、外人のライターとかが来た時に描かせてあげたりしてる。
でも事前に、その人の作品とかを見せたり、どんなのを描くのかとか確認はちゃんと取ってからね。

グラフィティをやる理由は、好きやからが1番、もちろんね。

WOOD

Q.リーガルとイリーガルについて。

昔は自分もそれがコンプレックスだったね。
本来なら、自分もイリーガルじゃないとダメと思ってた人間やから。
顔隠してなんぼ、正体を明かさないでなんぼ、ってのがリアルグラフィティと思ってた。

僕も一時期、ボムしまくってた時期があったんよ。
でも何が好きって、絵を描くことやって。
ボムっていうカルチャーがあるようにさ。
それをアートとしてちゃんと取り入れたのがHIP HOPカルチャーやと思ってんねん。
だからWILD STYLEとかBEAT STREETとか見たら、パーティの最中に横でグラフィティ描いて、これがアートだってやってたけど、これはやっぱHIP HOPのカルチャーやねん。
HIP HOPって、良く言われるけど「PEACE . UNITY . LOVE . HAVING FUN」って言うやん。
やっぱそれがHIP HOPやと僕も思うねん。
けど、グラフィティのボムとかヴァンダリズムって、破壊活動やからさ。
メッセージは強いかもしれんけど、HIP HOPではないと思ってるんよね。
それはみんなに凄い伝えたい事やねん。

そう、だからグラフィティっていうのは大きい枠で、その中の一部にHIP HOPのグラフィティアートがあるって思ってるな。
だから最初は、グラフィティ=落書きしないといけないし、それがHIP HOPだとか思ってたけど、そういう解釈をするようになって、そうじゃないんだって思うようになったかな。
イリーガルだけが全てではない、アートとして表に出していかないとね。

WOOD

Q.東京に行ったきっかけは?

東京は少し行きたいと思ってたんよ。
食っていけないとか思ってたけど、やっぱちょっと憧れは持ってたんよ。
で、それなりに大阪で自信もついたし。
KATSU君、ANIJA君、色んな人にお世話になってるね。
ANIJA君とはよくカラオケにいくよ!笑

Q.ローカルにいた時との違いは?

僕の中では、今でもローカル。
僕自身はそんなオーバーグラウンドに行けてないと思ってる。

Q.ぶっちゃけ儲かりますか?

やり方によると思うなー。
ん~ほんまにお金メインで考えてやったら全然稼げると思う。
ただ自分の大事にしてるのが、自分のペースだったり、暮らしだったりね。
例えば県外とか行った時に、人に会ったり、何かを経験しに行くっていう事だったり、そういう事が今後の自分に活きていくいくんかなーって思ってる。

あとね、、、僕、実は相方がおってさ。
なんつーか、人生の相方みたいな(笑)
そいつは今も大阪に住んでんねんけど、毎日連絡取って1時間は話してるね(笑)
今日ここに来るまでのタクシー待ってる間とかも話してたし(笑)

Q.その人の話を聞かせて下さい。

ちょっと前にラジオのオファーがあったんやけど、彼に喋ってほしかったね!笑
高校の時からの友達で、僕が人生で初めて挫折を喰らった男やねん。
なんつーか、自分がしょぼ過ぎたなって感じたんよ。
今はゼネコンの監督やってんねんけど、っていうのもさっき言った一番最初にダンスも誘った奴!
まあ僕らは関西人なんで、自分の事を面白いと思ってたんよ。
クラスで誰が一番笑わせれるかとか、体張れるとか、いじられても上手に返せるかとか。

ほんで、小学校の時は明るくて絵描きが上手いモっちゃん(当時のあだ名)やってん。
でも人を笑かすのも好きでさ。
自分って面白いんやと思ってたんよ。
そんな感じでも高校も行ったんやけどさ、人相のせいか分からんけど、みんな仲良くしてくれて。
絵も描いてたし、まあちょっと早めに良いポジションもらえたそんな感じやったんよ。
そしたらその時にね、そんな僕の姿を冷たーい目で見る大仲くんがいたのよ。
見た目も幸が無くて、おとなしいし、全然目立つような子ではなかったんよね。

それで夏休み過ぎたくらいに、僕の友達の友達が「おい、森田。大仲くん、めっちゃ面白いで!」って言ってきたんよ。
それから、大仲くんも誘って遊ぼうぜーってなって、僕の家に呼んだんよ。
そしたら来たら来たで、もう何の話やったか忘れたけど、大仲くんに爆笑させられたんよ(笑)
ぶちかまされてしまったんよ。
全部もっていかれた、みたいな(笑)
もうなんやろ、悔しいとかじゃなくて素直に面白い!みたいな。

それまではクラスの中では自分でもムードメーカーやと思ってたんよ。。

それで、僕らのいってた学校が、1年から3年までクラス替えがない学校だったんよね。
でも僕ともう1人、幼馴染の石野くんっておんねんけど、2人で留年しちゃったんよね。
ちなみに石野くんは、小中高と同じ学校でアルバイトも同じだった腐れ縁ね(笑)
一緒に留年ライフが始まったんやけど、石野くんは身体もデカいし、力も強いし、先生とも上手くやるタイプやったから、クラスの女子達からも頼りになる先輩って感じやったと思うねん。

でも大仲くんは1個上の学年のクラスでやってるわけよ。
するとさ、大仲くんのいるクラスが日に日に変わっていくねん。
クラスみんなが悟ってて、変な感じやってんけど、その中でも大仲くんは面白いって言われ続けてたんよ。
見事にクラスが大仲くんに侵食されたんよ。
そん時くらいから僕はもう思ってたんよ、こいつはとんでもない!って。
なんか危機を感じてしまってさ。
今までの面白かった自分の存在が消えかかってるみたいな(笑)
言うて、クラスのみんなは僕にもちろん相手してくれんねんけど、大仲くんの言う事の方が説得力もあって、笑いがあると。
もちろん僕と大仲くんは毎日それでも遊んでる。

日常でさえ彼のやばさを痛感してんのに、学校でもそれやられると自分の居場所が無くなる、みたいな(笑)
それをほんまにヤバいと思いだしたのが、高校3年の時。
1個下の学年、つまり僕のクラスにまでも「大仲さんが面白い」って噂になってて。
そして何がヤバいって、ダンスも上手やねん。
東京のDANCE DELIGHTで特別賞もらってたぐらいやから。
今でも僕は彼の事を一番敵に回したくないなって思ってるからな。笑笑

大仲くんと石野くんは、僕の中では今でもスターやねん。
石野くんは元々ずっと芸人になりたかったんよね。
でも石野くんは頭が悪かったのと、なんせ身体がデカいんよ。
「全てを解決するのは暴力やぞ!」とか言ってたし(笑)
でも石野くんも一緒にダンスを始めた仲間でもあるんよね。
でもセンスがなくてTOP ROCKが踏めなかったんやけど、ただヘッドスピンはくそ回るみたいな(笑)
そんな2人が僕の高校時代にはいたわけよ。
で、当時唯一 大仲くんの笑いに付いていけてたのが石野くんやったんよ。
僕はその時、初めて挫折ってものを感じたね(笑)
終いには、1年の最後に大仲くんからはっきり言われた一言が「お前は面白くない。」だったね(笑)
でもそんな彼と、今でも毎日連絡とってるって話やな。

何が言いたかったというと、人生で本当の挫折を感じれた事は凄い良い事やったなと思ってて。
彼らと出会って、僕は1番に成れないって思わされてしまってさ。
面白さで言うと、大仲くんが1番、石野くんが2番、僕は3番目のこのポジションでいいやって自然に思ったんよね。
もちろん悔しい事も色々あったけど、そのポジションが心地よかったんよな。
それからは自分で自分の事を面白くないと思うようになってきて、大仲くんの笑いのスタイルを取り入れようとかしてみたんやけど、僕がやると人を怒らすだけやねんな。

2人はね、良く漫才とかもやってたんよ。
僕はその漫才を見てジャッジする係ね。
僕が笑えば、クラスみんなも笑うみたいな。
ある時に言われた事があってさ、石野くんが大仲くんに「大仲さん、でも俺思うんすよね。こん中でね、一番悪い奴はね、こいつなんすよー!!!」って僕を指差すんよ(笑)
そしたら大仲くんも「石野さん、僕もそれはね、分かってたんですよー。こいつやー!!!」って僕を指差すんよね。
一番美味しいポジションやってん。

何が言いたかったというと、そうそう挫折を味わったからこそ、サポートする事に関してもむしろ自分の専門分野やと思ってる。
その3番目のポジションが下とかは決して思ってないしね。
だからこそ、やりがいがあるな。

WOOD

※友人 大仲氏

Q.Toprocdressの印象を聞かせて下さい。

僕の印象やと、一言で言ったら、九州を代表するBboyブランドって感じ。
ここ数年でToprodressのみんなとも凄く仲良くなって、噂とかでも良く聞いてはいたけど、めっちゃHIP HOPやんって思ったかな。
なんつーか、Toprocdressを含めこういうのは自分達を表してるモノやと思ってて、チーム全員で作り込んでってるなってのは感じるな。
まぁたぶんCoffeeshopとかってバックボーンもあるからやと思うねんけどな。
なんかHIP HOPのRepresentっていうカルチャーを物語ってるなって思う。
そういう意味での「九州を代表する」ってことやねん。
でも個人的にはCoffeeshopよりもToprocdressの方が、知ってたのは先やな。
Toprocdressっていうか、TEC NIKeのステッカーとか、着てる人とかも見てたしな。
だからか分からんけど、色を持ってんなって思う。
色というか、匂いというか、雰囲気というかね。
Crewの匂いでもあるし、ブランドも匂いでもあるし、みたいな。

Q.Woodさんにとってグラフィティアートとは?

コミュニケーションツールですね。 Bboyも一緒やと思うんやけど、Bboyやってたら海外行って言葉分からんくても繋がれるやん。
それと一緒で、僕も海外行った時に、僕は絵が描けるよって言ったら、それで認めてくれんねん。
それで仲良くなれるんよ。
それなりにしっかりしたスキルで描いてるつもりやから、一般の人達にも見せた時に、ちゃんと何かをやってる人だと思ってもらえてそっから会話が生まれたりするから、本当にコミュニケーションツールだと思ってるね。

Q.目指すところや今後の展望は?

目標は一番は楽しく生きていきたい、かな。
あとはさっきも言ったけど、フリーウォール作ってストリートの奴らがやれるまで一緒にやって、そういう集える場所を作りたいな。
その為に、言葉に力を持つ為に、知名度を上げる努力を今はやろうって感じですね。

Q.若手にメッセージがあればお願いします。

色々あると思うけど、止めるっていう思考を無くして欲しいって思います。
止めるっていう感覚を持たなくていいよって事です。
止めるという言葉の選択肢を無くしましょう!

WOOD

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